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「晩秋に高村山荘ふたたび」

宮沢賢治と交流があった高村光太郎は、賢治の死後、弟の宮沢兼六を頼り岩手に疎開してきました。当初は兼六の家に身を寄せておりましたが空襲に遭い、その後移り住んだのが山林の中の山荘で、7年ほどここで暮らしました。質素な家は秋冬は相当寒かったと思われます。ぜひこの時期にも訪ね、光太郎の心中を感じていただけたらと思います。

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